最近、図書館に行った時のことです。私は、犬の治療に関する本を探しに行っていました。
いろんな本を手軽に手に取れるので、図書館はやっぱりいいなとしみじみ思いながらいろいろ見て回りました。
犬の気功の本まであるんだ、と感心していたとき、ふと最近返却があった本のエリアを見ると、「ビジュアルシンカーの脳」という本がありました。
これは、Youtubeの「ゆる言語学ラジオ」で紹介されていた本だ!とびっくりしました。
いつか買ってみようとは思っていたけれど、まさか借りることができるとは思っていなかったので、この出会いは本当にラッキーでした。
ふとYoutubeを観ていたとき、ビジュアルシンカーの話がされていて記憶に残ったのは、なんとなく、私の周りにビジュアルシンカーの傾向のある人が、多い気がしているからだと思います。
そして、その人たちは損をしているのではないか?という思いがずっとありました。
対して、自分自身は言葉で思考している傾向が強いので、うっすら自然と加害者の方に回ってしまっている節がある、というのもずっと思ってきたことです。
こちら側も、伝わらないもどかしさを抱えているという意味では、お互い様ではあります。でも、社会の環境が言語思考に有利になっている以上、揉めた時には、向こうがおかしいのだという風に結論づけてしまっています。
そうだね。そっちの言っていることが正しいよ、という風にはなかなか言えないです。仮に、そう発言したのだとしても、結局理解は出来ていないのだから、全く納得しておらず、嘘をついていることになります。
認知の仕方が違うのだとは認めつつも、結局、自分の思考の限界を超えることはできません。
「相手の言ってることが解らない」で終わってしまう。
この本を読めば、原因について何か解るのでは?と期待していました。
本を読んだ感想ですが、自分がいつも感じている身近なすれ違いに対して、自分なりの解決策を見つけるといった風にはなりませんでした。
ただ、ビジュアルシンカーは、どうしてそういうふるまいになるかについての要因。主に脳のどの部分を使って思考しているかといったようなこと。ずば抜けている能力と、決定的に欠けている能力についてなんとなくイメージができたという感じです。
もし、実際に著者の才能を身近で何年も見ることができて、一緒に日々を過ごした後にこの本を読んだとしたなら、きっと、全然違うのだろうけど。
スペクトラムという表現の示している範囲の中での差異も、あまり自分にはリアルに実感できないです。
自分が右脳派と感じている人達は、別にそのスペクトラムにも入っていないのでしょうか。私は、その辺も理解できていないです。
ただ、その人達が持っている才能が、いかに世の中にとって有用であるかということは十分伝わりました。
そして、もしその人達が持っている才能が十分に活かされ、世の中の技術を改良したとしたのなら、その成果物を通して、言語思考者は、その思考の雰囲気を感じることができるかもしれないと思いました。
その方が、直接喋って解り合うことよりも、随分とお互いにとって、ハードルの低いコミュニケーションになるのではないかと思います。
この本全体を通して一番心に刺さったのは、ボトムアップ思考の重要性についてです。
抽象的な概念を扱うのが苦手ということは、つまり常にトップダウンの思考ではなく、ボトムアップ思考ができているということなのだということ。
そして、それはビジュアルシンカーに限らず、とても有用な手法であるということです。
今、この本に出合えた意味は、この重要性を強く思い出すためだったのだ!と思いました。
そして、もう一つ思い出したことがあります。
それは、私はこの著者の話を何年も前に聞いたことがあったということです。
それは、ジェームス・スキナー氏の何かの講演だったと思います。
あの講演でのポジティブなオーラを思い出して、とても懐かしい気持ちがしました。

