コンセプト

「ブログに書けること」は限られています。
でも、それをどういう種類の制約にしていくのかっていうことには、少しだけ力を加えることができると思います。
そして、その制約に一番力を加えられる要素って、読者の少なさではないかと思うのです。
あいにく、それを選択すると同時に、商業用には使えないという、かなりはっきりとしたマイナス面が出てきます。
だから、選ぶしかないと思います。
書きたいことを書いたら、所謂、「使えないブログ」になるけど、そこで自分が何をやりたいか?
私の場合、ブログを書く理由は、「そんなこと、自分のブログにでも書いておけよ」と思われるような領域にあることを、正直に書いてみたいということが1番大きかったです。
もう1つは、もう二度と会えなくなったたくさんの同僚達が、偶然1人でも読んでくれた時に、今はここで頑張っていますよと、伝えたいなと思っていました。
こういう風に言うと、内向きって思われるかもしれないですけど、会ったことない人をイメージして、ある程度のパッションを持って書ける人って居ないのではないかな?となんとなく思っています。
文章を書くときには、なんらかのスタイルを決めて書かなければならなくて、それは自分の熱量を、ある程度は引き出す形ではないと、結局無理なんじゃないかなと思うのです。
そんな勝手なる思いで書いているブログなのですが、先日友人が、ブログのタイトルについて質問してくれました。
それが、すごくうれしかったんです。
タイトルの意味まで、気にしてくれたんだと思って。
ほとんど誰も読んでいないブログなのに!です。
タイトルについてはいつか、書きたいと思っていました。
「一匹からの採集生活」というのは、
採集生活をしている体で、まず最初の一匹を捕まえよう! ⇒ 千里の道も一歩から というような気持ちを込めています。
なぜ、「採集生活」なのか?についてですが、
その理由は、大学在学中に言われた下記のようなことが、元となっています。
「世界の人口を半分に減らして、モンゴル民のような生活をしない限り、地球は滅びる。まず、絶望から始めよう」というようなニュアンスのことを、環境学原論で言われたんですよね。
もう20年以上前の話ですけれども。
環境という分野は矛盾だらけで、若いころはすごく悩みました。
環境問題とは、つまるところ、何を守りたいのか?という話になっていくと思いますし、それは、個人の価値観の設定によって、全然次元の違う話になってしまいます。
今となっては、私の守るべき価値観が、国家という枠組みをスルーしていくことはありません。
(ちなみに余談ですが、脱炭素が私のテーマとなることもありません。)
ですが、すべての前提がなかったときに(つまりファンタジーの世界で。)遊牧民の生活がいいという話は、十分に納得できる話だと思いました。きっと、理に適っているんだろうなと感じられます。「理に適っている」ということが、私は好きです。
遊牧民の生活を、町バージョンに言い替えたら、「採集生活」という表現になりました。
虫取り網と、最初の一匹として捕まえる生き物の絵をつけたいなと思っていましたが、そこまで辿り着けませんでした。
絵があったら、少しは解りやすかったと思います。
猫の絵
#採集生活
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