昔から占いが何故か好きでした。
定期的に、いつもの飲み友達と観てもらいに行ったり、久しぶりに遠くから遊びに来てくれた友達と、旅の思い出として行ったりしていました。
相談する内容を人に聞かれたくない、そういう人は多いのかもしれません。
でも、私達は一緒に部屋に入って、お互いの鑑定を近くで聞きあうことにしていました。
そして、その後お茶を飲みながら、今後の人生について、延々と作戦会議。
だから、鑑定結果が厳しめのものがあっても、楽しい思い出として残っています。
ある時、友人が占い師さんに、
「私は、ソウルメイトにはいつ会えますか?」という質問をしたことがあります。
そばで聞いていた私は、「ソウルメイト?」
えっ。「ソウルメイト」って当然のように言ってるけど、そんなの居るの?と思っていました。
私は、人生は一度きりだと思っていたし、前世というものも特に信じていなかったので。
今でも、その辺りのことは、良く解りません。
あるともないとも、言い切れないのが前世で。居るとも居ないとも言い切れないのが、「ソウルメイト」です。
おそらく、自分が特に「ソウルメイト」という存在を渇望していないから、知識も身につかなかったのでしょう。
もし、今後「ソウルメイト」という存在の定義を知ることになったとして、その定義の仕方が、自分の人生の空白に、浸透してくるようなものであったとしたなら。
その時から私は、そのテーマを追い始めることになるのかもしれません。
占い師さんが言っていたのは、
「ソウルメイトは、人生に1人じゃないよ。3人いる。異性とは限らない。」というようなことと、「ソウルメイトとは、なんにも喋らなくても、ずっと居られるねん。4時間くらい喋らなくても、全然平気。」
ということ。
それを、二人で真剣に聞いていました。
ただ、4時間喋らなくても平気という判断基準なら、見つけることはできないだろうということと。
きっと4時間っていう例えは、「空気よりも空気みたいな存在」って言いたたいのだろうなと思っていました。
でも、それなら一体、「ソウルメイト」に会う意味ってなんなんだろう?って思ったんですよね。
「ソウルメイト」って本当は多分、強烈な存在意義があるんでしょう。
でも、私にとっては、その思い出のせいで、ぼんやりしていて、面白い存在になってしまっています。
#占いの思い出#ソウルメイト