4冊目の嫌われる勇気

「嫌われる勇気」という本を、私は3冊くらい買ったけれど、一冊も手元にないから、4冊目はKindleで買うことにしました。
それくらい、人に読んで欲しい本だったということだと思います。
Amazonを観ていたら、第1版の発売日が、2013/12/12だったので、約10年経ったんですね。
この本ほど、売れ筋10位以内に入り続けた本を、観たことがないです。
Kindleで買って読み返して、改めて名著だと感じました。
本書は、青年と哲人のやり取りで、構成されています。
青年が、哲人から人生観を変えてしまうほどの哲学を突き付けられ、受け入れられずに抵抗するけれど、遂には受け入れてしまうという流れです。
青年が発する問いの立て方が、とても上手で、幅広く設定されているので、アドラーの教えに対する理解が深まること必至です。読んで損はない1冊です。
ただ、今回書きたいのは、本の感想ではないんです。
私が「嫌われる勇気」から受け取ったたくさんのメッセージのうち、インパクトのあるメッセージ。それを具体的に示している1例が書きたいなと思いました。
例えば、憧れている職人さんが居て、その人に認められることを目標にその人の会社に入る。
⇒ その人は他の人を褒めてばっかりいるので、自分はその人には認められていないと感じる。
⇒ 自分に足りない物を埋めようと、自己分析を繰り返す。いろいろな習い事、文献などで、足りない知識やスキルを補う。
⇒ ある日、突然自分の憧れていた作品が、その人の物ではないと知る。(複雑な事情があり、分業されていた。)
しかもその人が他の同僚を褒めていた理由は、たんに教育担当であったからと知る。
(失った物) 時間、ロールモデル、自分の長所を認める気持ち
(得た物) 実力、自分の力を認めないことで得られるストイックさ
特定の人をすごいと思って、目標にしてしまうことは良くあることだと思います。
でも、そのすごさを信じた瞬間に、信じた責任は、自分に完全移行されてしまうということには、気づけないことが多いです。(※他人軸の目標は、選んだ瞬間にリスクが発生する・・・。)
現実の世界ではもちろん、自分が目標を間違ってしまったのではないパターンも、あると思います。
故意に情報が操作されている場合だってあります。
その誤認識による被害について、場合によっては、争っていくこともできます。
でも、使ってしまった時間は、戻ってきません。
この本に最初に出会ったとき、ロールモデルに限らず、自分が良いと思い込んで関わったのに、人のせいにしてたことって、いっぱいあったなと気づきました。
失礼だったし、傲慢だったなと反省しました。
でも同時に、間違えて今まで自分の目標と思い込んでいた、他人の目標にも気づけました。
他人の課題には、踏み込まなくてもいいんですよね。
それを、区別して捨てることができるようになってきたことは、本当にうれしいです。
そして、自分の周りにもそう感じた人が多いんじゃないかな?と思っています。
だから、こんなに売れ続けたのではないかと思います。
#嫌われる勇気
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