個人鑑定でしか伝えられないこと

今日は、「個人鑑定」でできることについて書いていきたいと思います。

「個人鑑定」といっても、メール鑑定と対面鑑定では、できることが違ってくると感じています。
(私は電話とzoomが苦手なので、この手法は考察から除きます。)
共通点と言えば、本音を言えるということなのではないか?と思います。

以下に、メール鑑定と対面鑑定の違いを挙げると、

①メール鑑定の場合
特に、匿名のチャットルームでの鑑定で感じる利点は2点あります。
・誰にも言えない本当に深い悩みを、ご相談いただけることがある
・メールに書き出すことで、相談者の方が自分の悩みを整理できる

②対面の鑑定の場合
・メール鑑定ほどは本音は言えないかもしれないが、細かいニュアンスや事情などを汲み取ったり、雑談を交えたりできる。伝え合える情報の量が多い。
・当たっているのか、当たっていないのかのフィードバックについて、メール鑑定より実感として受け取るものがある。(占い師側の利点)

つまり、どちらもそれぞれの良さがあります。
でも、一番良いところは、本音で語ってもらえるということにつきます。

では、本音が聞けるというのは、どういうことなんでしょうか?

例えば、私がこうやってブログに文章を書いています。
でも、これはどれだけ正直に書こうと努力しても、詳細に状況説明をしようとしても、見せることが目的の文章だという前提を、取り去ってしまうことはできないです。

私には、すごく面白いブログを書いている友人が居ます。
転職回数が多くて、そこで遭遇したとんでもない話や、プライベートでの旅行記などが、とてもリアルに描かれています。
なかなかメディアからは、手に入らないような情報です。
そして書き手を知っているから、余計面白く感じるということもあります。

でも、実際に出会ったときに喋る内容って、同じトピックスでも全然違うように感じます。
事実が異なるとまでは言わないけれど、全く違うというのが実感なんです。

ブログを赤裸々に書いているように見えても、書けないことは、本当にたくさんあります。
喋ることで伝えられる情報は、量も種類も質も全く違うのだと感じる瞬間です。
だから、いつも次に会える時、素のテンションや感性で実のところを語ってくれる日を、楽しみにしています。

SNSでの発信には、その人の個性がフィルターをかけていると思います。

人に見せるときには、きれいな情報でないと失礼になると思っていて、ポジティブな情報だけを、発信し続ける人。
逆に、ポジティブな情報を見せると自慢になるから、礼儀として残念な面白エピソードを発信し続ける人。
役に立つことしか発信しない人、何も加工しないありのままを見せようと努力する人。
などいろんな切り口はあるけれど、やっぱり見せるための情報であることに変わりはないと思います。
そういう風に考えていくと、誰にも聞かれないことが前提の個人鑑定で扱える情報は、本音に近いと思えます。

こんなこと思ってしまっていいのかな?と人には絶対に言えないような感情。
本当はこういう風になればいいのにという秘密の願いなどが、相談内容に含まれることは多いです。

そして、こちらから発信できる内容の自由度も全然違います。
著作権など気にせず、文献や映像の具体例なども入れながら、ネタバレなどもさほど気にすることなくお話することができます。
だって、この人は一生この本読まないだろうなと思うことありますよね。
そういう場合は、本の内容を話しても別に問題ないと思います。
先日出会った出来事や、少ししか覚えていないような不確かな情報でも、何かのヒントになればと差し出すことができます。
裏付けを取らないから責められるなどということよりも、提供する善意を汲んでくれる人の方が圧倒的に多いと思います。

その人に対して、自分が考えうるベストの提案ができるのが個人鑑定。
だから、私は占いにおいて、基本的には個人鑑定に主軸を置いていきたいと思います。

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